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v0.28.9 — 本稿は建設中です。理論の構成、命題、実証の結論はいずれも変更されうるものです。概要

付録 A
補遺:方法論に関する証明

本文中で述べた方法論上の主張のうち、証明を与えるべきものをここに集約する。 各節では、定式化の選択がなぜその形になるか、 本文で扱わなかった含意、および証明の適用限界を併記する。

含意として展開するのは、条件づけの強さと歪みの関係(注A.3)、 失敗事例のみを集めても歪みが解消しないこと(注A.4)、 APC問題において曲率は識別されること(注A.8)、 本稿の CCC の時系列にAPC問題が潜在すること(注A.10)、 期限制約下では目的関数が不連続になること(注A.13)、 および代替性が静的な制約に限られること(注A.17、A.18)である。

適用限界は注A.5と注A.14に記す。

A.1 合流点条件づけによる相関の発生

A.1.1 定式化の選択

第12.2節で扱ったのは、 観測される企業が生存に条件づけられているという問題である。 これを形式化するには、生存が何の関数であるかを決めねばならない。

本稿は S = 1{aΦ + 𝑏𝜀 > 𝜃} という線形加法の閾値を採る。 Φ は契約形態に由来する優位、𝜀 は外生的な衝撃である。 この形を選ぶ理由は三つある。

第一に、加法性が本質である。Φ の劣位を 𝜀 の優位が補償できるという構造が、 条件づけによる相関の源泉となる。乗法的な形 S = 1{Φ𝜀 > 𝜃} でも 同種の結果は出るが、補償の解釈が失われる。

第二に、閾値であることが必要である。生存は連続量ではなく二値の事象であり、 条件づけの対象が集合となる。S を連続変数とすれば、これは条件づけではなく回帰の問題になる。

第三に、a,b > 0 という符号制約は両者が生存に正に寄与することを述べている。 片方が負であれば結果は逆転する。第12.2節で 「歪みの向きは条件づけ対象によって反転する」と述べたのは、この符号に依存する。

命題 A.1 (合流点バイアス). Φ と 𝜀 を独立な確率変数とし、 a,b > 0 と閾値 𝜃 に対して生存指示変数を S = 1{aΦ + 𝑏𝜀 > 𝜃} で定める。 このとき S = 1 で条件づけると Φ と 𝜀 は負に相関する。すなわち

Cov ⁡ [Φ,𝜀∣S = 1] < 0.

証明. Φ の実現値 x を固定する。S = 1 の条件は 𝜀 > (𝜃 − 𝑎𝑥)∕b と同値である。 右辺は x の減少関数であるから、 条件付き分布 𝜀∣(Φ = x,S = 1) は x について確率的に減少する。 したがって

𝔼[𝜀∣Φ = x,S = 1]

は x の減少関数である。Φ と 𝜀 の同時分布が 非退化であればこの減少は厳密であり、共分散の定義

Cov ⁡ [Φ,𝜀∣S = 1] = 𝔼[(Φ − 𝔼Φ)(𝔼[𝜀∣Φ,S = 1] − 𝔼𝜀)|S = 1]

において括弧内の二因子が逆符号に動くから、共分散は負となる。 □

系 A.2 (構造効果の過小推定). 生存標本において Φ の劣位は 𝜀 の優位により部分的に相殺される。 したがって Φ が成果に与える効果の推定量はゼロ方向に偏る。

A.1.2 本文で扱わなかった含意

注 A.3 (条件づけの強さと歪みの大きさ). ℙ(S = 1) が小さいほど、条件付き相関の絶対値は大きくなる。 閾値 𝜃 を上げれば、生存には Φ と 𝜀 の より極端な組み合わせが要求され、両者の補償関係が強まるためである。

これは実務上の含意を持つ。 厳しい条件で標本を絞るほど、歪みは大きくなる。 第12.9節で扱った上場企業(全体の 0.11%)は、 生存に加えて上場という二重の条件づけを受けており、 歪みは単純な生存条件づけより大きい。

注 A.4 (逆向きの条件づけ). S = 0 すなわち退出した企業のみを観測する場合も、同じ機構が働く。 ℙ(𝜀 < (𝜃 − 𝑎𝑥)∕b) は x の増加関数であるから、 S = 0 の下でも Φ と 𝜀 は負に相関する。

したがって失敗事例だけを集めても歪みは解消しない。 成功と失敗の双方を含む標本、 すなわち条件づけを行わない標本のみが不偏である。 これは第IV部で族2の媒体別パネルが 成長セグメントと縮小セグメントを同時に含んでいたことの重要性を説明する。

注 A.5 (証明の限界). 命題A.1は Φ と 𝜀 の無条件の独立性を仮定する。 両者が元から相関していれば、条件づけによる負の寄与と 元の相関が混ざり、符号は定まらない。

現実には契約形態と外生的衝撃は独立でない可能性がある。 たとえば景気変動に強い Φ を選ぶ企業は、 𝜀 の分散が小さい環境を選んでいることになる。 この場合、本命題は適用できない。

例 A.6 (数値による確認). Φ,𝜀 ∼ N(0,1) を独立とし、S = 1{Φ + 𝜀 > 0} とする。 このとき Φ + 𝜀 ∼ N(0,2) であり、ℙ(S = 1) = 1∕2。 既知の結果として、S = 1 の下で Corr ⁡ [Φ,𝜀∣S = 1] ≈−0.57 となる。 無条件では 0 である相関が、生存で条件づけただけで大きく負に振れる。

A.2 年齢・時点・コホートの識別不能性

A.2.1 なぜ線形モデルで論じるか

第12.5節の主張を線形代数の言葉で述べる。 線形の設定を採るのは、識別不能が線形性から生じるためではなく、 線形の場合に最も明瞭に現れるためである。

非線形なモデルであれば (α,π,γ) が識別される場合もある。 たとえば年齢効果が二次であり時点効果が線形であれば、両者は区別できる。 しかしその識別は関数形の仮定に完全に依存する。 仮定を変えれば結論が変わる以上、識別されたとは言い難い。

線形の場合を示すのは、識別不能の核心が a = p − c という恒等式にあり、関数形の工夫では回避できないことを明らかにするためである。

命題 A.7 (APC の識別不能性). 本命題は Age–Period–Cohort 文献の記法に従う。 a,p,c,π,y は本節に限り年齢・時点・コホート・時点効果・観測値を表し、 本稿の他の箇所での用法(受託配分・単価・限界費用・決済・成果)とは無関係である。

観測値 y を年齢 a、時点 p、コホート c の線形和

y = μ + αa + πp + γc + 𝜖

で説明するモデルを考える。恒等式

a = p − c (12.2)

が成立するとき、(α,π,γ) は識別されない。

証明. 任意の η ∈ ℝ に対し、 (α′,π′,γ′) = (α + η,π − η,γ + η) とおく。 式(12.2)より

α′a + π′p + γ′c = 𝛼𝑎 + 𝜋𝑝 + 𝛾𝑐 + η(a − p + c) = 𝛼𝑎 + 𝜋𝑝 + 𝛾𝑐.

すなわち任意の η について予測値が一致する。 設計行列の列 (a,p,c) は線形従属であり、階数が1だけ不足している。 したがって最小二乗解は一意でない。 □

A.2.2 本文で扱わなかった含意

注 A.8 (何が識別され、何がされないか). 識別不能なのは三係数の水準であって、すべてが不明なのではない。

命題A.7の変換 (α + η,π − η,γ + η) が 不変に保つ量は識別される。たとえば α + γ や、 係数の二階差分すなわち曲率は η に依存しない。

したがって「年齢とともに CCC が単調に上がるか」は識別されないが、 「年齢効果に曲がりがあるか」は識別される。 第12.5節で三変数の分離を断念したことは、 曲率まで諦めることを意味しない。本稿はこの方向を追求していない。

注 A.9 (識別のための制約). 識別には外生的制約を一つ追加する必要がある。 典型的には α = 0、π = 0、γ = 0 のいずれかを課すか、 隣接する二つの係数を等しいと仮定する。 いずれの制約も検証不能であり、結論は仮定に依存する。 本稿では制約を課さず、識別不能である旨を明記する方針をとる(第12.5節)。

注 A.10 (本稿における現れ方). APC問題は本稿の複数箇所で潜在的に働いている。

第16章で CCC の時系列を扱ったが、 企業の年齢分布が時点によって変化していれば、 観測された CCC の上昇は時点効果と年齢効果の混合である。 第16.8節のシフト・シェア分解は 業種構成を分離したが、年齢構成は分離していない。

創業間もない企業ほど CCC が短いなら、 高齢企業の比率上昇が CCC の上昇を説明しうる。 本稿はこれを検証していない。

A.3 期限制約下の分散選好

第8.6節の命題を証明する。

命題 A.11 (期限下では分散最小化が最適でない). 到達までの所要時間を Θ > 0、期限を Tmax ⁡ とし、 成功を {Θ ≤ Tmax ⁡ } と定める。 𝔼[Θ] > Tmax ⁡ であるとき、 𝔼[Θ] を一定に保つ分散の増加は成功確率を増加させうる。 特に Var ⁡ [Θ] → 0 の極限で成功確率は 0 に収束する。

証明. Var ⁡ [Θ] = 0 ならば Θ = 𝔼[Θ] > Tmax ⁡ が確率1で成立し、 ℙ(Θ ≤ Tmax ⁡ ) = 0 である。 一方、平均を保ったまま分散を持たせ、 たとえば確率 q で Θ = T1 < Tmax ⁡ 、確率 1 − q で Θ = T2 となる二点分布を qT1 + (1 − q)T2 = 𝔼[Θ] を満たすようにとれば、成功確率は q > 0 となる。 したがって分散の増加により成功確率が改善する。 □

注 A.12 (床制約との対比). この命題は第8.5節で導いた「少額多数で分散を下げよ」と矛盾しない。 前者は床制約 M ≥ 0 の下での結論であり、 後者は期限制約 Tins ≤ E(0)∕c𝑙𝑖𝑣 の下での結論である。 制約の型が変われば最適な分散選好も変わる。

注 A.13 (目的関数が成功確率であることの含意). 命題A.11は目的関数を ℙ(Θ ≤ Tmax ⁡ ) とした。 これは第4.2節の 𝔼[∑ ⁡ βtϕt] とは異なる。

両者が食い違うのは、期限を超えた場合の損失が どれだけ超えたかに依存しないためである。 Tmax ⁡ を1日超えても1年超えても結果は同じであり、 目的関数は二値になる。この不連続性が分散選好を反転させる。

第4.2節の倒産時刻 τ も吸収状態であり同じ性質を持つ。 すなわち本稿の枠組みは、目的関数が滑らかでない領域を含んでいる。 命題4.7の経路制約はその現れである。

注 A.14 (証明の限界). 本命題が示すのは分散増加が成功確率を改善しうることであって、 常に改善することではない。𝔼[Θ] < Tmax ⁡ であれば逆に、 分散の増加は成功確率を下げる。

境界は 𝔼[Θ] と Tmax ⁡ の大小である。 実務的には見込みが十分にあるなら安全策、 足りないなら賭けるという判断になるが、 𝔼[Θ] を事前に知ることは通常できない。 本稿はこの推定の問題を扱わない。

A.4 資本と信用の代替性

命題 A.15 (代替関係). A = Inv = 0 のとき、制約 M ≥ 0 は

E + ∑ i max ⁡ {−κi,0}≥∑ i max ⁡ {κi,0} (A.1)

と同値である。すなわち E と負の κ は制約式において完全代替である。

証明. 命題3.15の式(3.8)に A = Inv = 0 を代入し、 M ≥ 0 を整理すれば直ちに従う。 左辺の二項は同一の係数 1 で入るから、 一方の減少は他方の同額の増加で正確に補償される。 □

系 A.16 (双方向の含意). E ≈ 0 ならば κ < 0 が要求される(第8.5節)。 逆に E > 0 が大きければ κ > 0 を保有できる(第IV部、予測Fの結果)。

A.4.1 「完全代替」の意味と限界

注 A.17 (代替は制約式においてのみ成立する). 命題A.15は式(3.8)という一本の不等式においてのみ E と − κ が等価であることを述べる。 両者が経済的に等価であることを意味しない。

三つの点で異なる。

第一に、期限がある。κ < 0 は履行の義務を伴い、 第3.1.4節の τi が有限であれば期日に返済相当の履行が生じる。 E には期限がない。

第二に、調達可能性が異なる。E は資本市場から、 κ < 0 は取引相手から調達する。 第3.1.1節のとおり、 両者は別の理論で説明され、別の条件で利用可能になる。

第三に、ϕ への請求権が異なる。 E の提供者は残余請求権を持ち(定義3.21)、 κ < 0 の提供者は持たない。

注 A.18 (代替の限界が現れる場面). 第8章の一人事業では E ≈ 0 を前提としたため、 代替の一方の端点しか扱っていない。

第8.6節で E > 0 を導入したとき、 制約の型が床から期限へ変わった。 これは E と κ < 0 の非対称の現れである。 E は生活費として消費されて減少するが、 κ < 0 は消費されず、履行によって解消される。

したがって命題A.15は静的な制約についての主張であり、 時間を通じた挙動は異なる。