Chapter 2
ビジネスモデル:
とキャッシュフローの生成
2.1 基本集合
定義 2.1 (基本集合). 以下の四つを基本集合として置く。
主体の内訳は、顧客 、仕入先 、資本提供者 、労働 、 リスク引受の第三者 を想定する。 これらは の部分集合であり、 を覆う。 個々の主体は のように の元として書く。 類別をそのまま添字にしたときは、その類別に属する主体についての和を表す。 たとえば である。 は自由度(3) が支払主体を移す先であり、第2.6節の移転にあたる。
規制や商慣行は現金の相手方ではないため に含めない。 これらは が選べる範囲を外側から限る制約であり、 第6.3節の制度層で扱う。
2.2 スケジュールと空間
主体 との関係を、二つのスケジュールの組として記述する。
評価写像 により履行を貨幣単位で測る。
これらの組の全体を空間として置く。
| (2.7) |
を履行スケジュールの空間、 を決済スケジュールの空間と呼ぶ。
2.3 履行から決済への写像
注 2.3 ( と は別の対象である). 大文字の は式(2.8)の写像そのもの、すなわち構造を指す。 小文字の は、その構造のもとで一期間に生じる余剰の大きさを指す量であり、 第6章の式(6.1)で三つの源泉に分解して定める。 が履行と決済の対応の形を決め、 はその形のもとで企業に残る取り分を測る。 本稿では両者を結ぶ一般の関係式を与えない。 の選択が の各項をどう動かすかは、 第6章で項ごとに個別に論じる。
2.4 キャッシュフローの生成
式(2.8)の が定まれば、主体ごとの決済が定まる。これをキャッシュフローと呼ぶ。
定義 2.4 (キャッシュフロー). 履行 を一つ定めると、 はその像として決済の組 を返す。 の元は主体ごとの関数の組であるから、 その第 成分 は 上の関数である。これを
| (2.9) |
と書く。 は、状態 において時刻 に主体 との間で生じる 正味の現金移動を表す。符号は企業への流入を正とする。 仕入先や労働への支払いは として表される。
が受け取るのは履行の組 ひとつであり、 や を引数に取らない。 時刻と状態への依存は、 が返した が持つ。
は の像である。 を差し替えれば、 同じ履行 に対して異なる が生じる。これが本稿の中心的な操作である。
式(2.9)は「誰が・いつ・どの状態で」の三つの添字を持つ。 通常の財務諸表は、この対象を添字方向に潰した射影である。
| 財務諸表 | 操作 | 内容 |
| 損益計算書 | 方向の集計 | 発生主義による調整を含む |
| 貸借対照表 | を固定した断面 | 未決済の残高 |
| キャッシュフロー計算書 | 方向の差分 | 現金の実際の移動 |
注 2.5 (本稿の量はすべて水準である). 式(2.9)以降に導入する量は、、、 を含めてすべて水準である。 時点 における値として定義され、変化を扱う記法を持たない。
これは記述上の選択ではなく制約である。 第IV部で繰り返し確認されるとおり、 これらの量の水準は業種や商品形態によって二桁の差を持ち、 横断比較は解釈できない。読めるのは同一対象内の時系列変化のみである。
本稿は変化を扱う理論的な道具を持たず、 実証の各局面で個別に対処している(第19.4.3節)。
例 2.6 (三重添字の具体化). 月額1,000円のサービスを100名に提供する事業を考える。 顧客 が毎月末に支払う場合、
であり、 には依存しない。一方、解約が生じうるならば は解約時刻を含み、 は に依存する。
仕入先が一社であれば であり、サーバ費用を月額30,000円として である。類別で書けば に等しい。
2.5 の自由度
式(2.8)の を規定する自由度を六つに整理する。 式(2.9)の三つの添字に対応するものと、そうでないものに分かれる。
- (1)
- 時間関係: と の前後関係。 を動かす。 の符号を決める。
- (3)
- 支払主体:受益者本人か、第三者か、反対側の市場か。添字 を動かす。
- (4)
- 状態依存性: が に可測か。 を動かす。リスクの所在を決める。 これは第4章の 可測性そのものであり、 の設計者が自由に選べる範囲は が限る (命題4.1、注4.2)。
- (2)
- 依存形式:
が
にどう依存するか。 線形な形式は一つの族にまとめられる。
(2.10) は履行量によらない部分、 は単価である。 が定額、 が従量、いずれも でない場合が二部料金にあたる。 線形でない形式として成果連動 がある。 は成果、 は成果を決済に変える関数であり、 が観測できるかは自由度(4) に属する(第4章)。
注 2.7 ( の書体と の用法). 式(2.10)の は料金の固定部分であり、 状態空間の 加法族 とは別の量である。書体で区別する。
は本稿では限界費用を表し、つねに引数を伴って と書く(定義2.14)。 定額料金には を用いる。
- (5)
- 権利と行使の分離:契約上の権利 と実現利用 が乖離しうるか。
- (6)
- 反復性:単発か、自動更新か、コミット期間つきか。取引頻度 を決める。
注 2.8 (三群の区別). (1)(3)(4) は式(2.9)の添字を動かす。すなわち 同じ に対して の置き場所を変える操作である。 (2) は写像そのものの形を決め(注2.7)、(5)(6) は定義域 の側の性質である。
第2.6節のリスク操作の三分類は、(1)(3)(4) を動かす操作にあたる。
このうち (1) と (2) が、 の符号と認知余剰の生じる余地をそれぞれ決める。 この二軸で の空間を粗く分割できる(図2.1)。 二つは別の群から取っている。 (1) は添字を動かし、(2) は関数形を決める。
分割の二軸と、族の判定に用いる自由度は別である。 第7.9節の判定順序が用いるのは (3)(4)(6) であり、 (1) と (2) は現れない。前者は の空間を粗く見るための軸、 後者は観測された を一意に割り当てるための規則であって、目的が異なる。
2.6 リスク操作の三分類
添字が三つであることから、 に対する操作も三つに限られる。 この対応づけは本稿の整理である。
| 操作する添字 | 名称 | 不変量 | 例 |
| 繰延 (timing) | 総額 | 前受金、割賦、リース | |
| 移転 (transfer) | 総額と分散 | ファクタリング、保険購入 | |
| 集約 (pooling) | 総額 | 保険引受、分散投資 |
この三つは、注2.8のとおり自由度 (1)(3)(4) を動かす操作である。 繰延が を、移転が を、集約が を動かす。
三つのうち、分散を実際に減少させるのは集約のみである。 これは確率論の帰結であり、 の構造とは独立に成立する。 本稿が導いたものではなく、引用である。
証明. 共分散の双線形性より
両辺を で割れば第一の等式を得る。 のとき 、 であるから極限が従う。 □
注 2.10 (独立性は有限の資源である). 式(2.11)の極限は であり、 である限りゼロにならない。 集約は独立性を消費する操作であり、独立性は有限の資源である。 地震保険の引受制限、プラットフォームの景気感応性、 金融機関のシステミックリスクは、いずれもこの式の同じ項に由来する。
注 2.11 ( の内生性). 命題2.9は を外生的な定数とした。この仮定は成立しにくい。
が内生的になる機構は、集約の対象が枯渇することではなく、 集約という行為そのものが相関を生むことにある。 [30] の例が明快である。 二つの主体が二つのリスクを等分に引き受けて完全に分散すると、 各主体の個別の破綻確率は下がるが、 両者のポートフォリオは完全に相関する。 リスクの性質は変わらないのに、主体間の相関が生じる。
したがって は集約者の数と保有の重なりの関数であり、 式(2.11)の極限 は集約が進むほど大きくなりうる。 証明は形式的には正しいが、 適用範囲は集約者が少数で保有の重なりが小さい範囲に限られる。 本稿はこの依存を扱わない(第19.4.1節)。
注 2.12 (集約の社会的最適性). 注2.11の機構は、個別と全体で最適が食い違うことを含意する。 [19] は、仲介者にとって最適な分散が社会的には最適でなく、 リスク分担を制限したほうが望ましい条件を導いている。
本稿は個別事業者の視点で書かれており、 の選択が系に与える影響を扱わない。 第II部の族5-4(保険引受)と族6-2(エスクロー)は 集約を業とする類型であり、この論点が直接効く領域である。
2.6.1 技術が定める費用
履行 を生むには費用がかかる。本稿は投入の内訳を扱わないので、 生産の技術は履行から費用への対応 としてのみ現れる。
は とは独立に与えられる。 同じ技術に対して異なる を置くことができ、 逆に同じ を異なる技術の上に置くこともできる。 本稿が動かすのは であって技術ではない。
注 2.15 ( に形状を仮定しない). 本稿は の単調性も凸性も仮定しない。 費用構造は業種ごとに大きく異なり、一つの形状を置くと適用範囲が狭まるためである。
代償として、最適な履行量 を内点で定めることができない。 式(2.17)の容量制約は上限を与えるが、 その手前で費用と価格が釣り合う点は本稿の仮定からは出ない。 以降で の水準が問題になる箇所(第8章の配分など)では、 制約の端点として扱う。
この分割に意味があるのは、第二項が実在するからである。 は の六自由度(第2.5節)のすべてから生じる。
| 種別 | 経路 | 内容 |
| 設定 | 締結 | を相手と合意する費用。定型契約では小さく、個別交渉では大きい |
| 運用 | 測定 | では の計測と課金が要る |
| 権利管理 | の管理。会員資格、残高の追跡 |
|
| 継続処理 | 自動更新、解約処理 |
|
| 履行確保 | 回収・貸倒れ | では請求と督促、回収不能の損失 |
| 検証 | では の確認 |
|
| 紛争 | 契約に書けても争いは生じる |
|
| 外部委託 | 仲介 | 決済、配信、集客の代行 |
注 2.16 (前受にも費用がかかる). (前受)は回収費用を要しないが、 預り金の管理、返金対応、規制対応が生じる。 第8.5節で扱う資金決済法の供託義務がその例である。 の符号によらず である。
注 2.17 ( を無視する条件). 本稿は以下、 を明示しない。無視できる条件は二つある。
- (1)
- 運用がシステム化されている。 測定・権利管理・継続処理は、仕組みが構築されていれば 取引あたりの限界費用がゼロに近づく。
- (2)
- 仲介を用いない。 仲介費用は取引額に比例し、システム化では消えない。 第17章はこの費用を測定し、 注17.1で の種別に対応づける。
条件が成立する範囲は限定的である。 第8章の一人事業と第IV部の族2では成立するが、 第16章が扱う小規模企業では成立しない。 請求と督促が人手で行われる場合、 は無視できない。
この省略の代償を明示しておく。 を落とすため、 本稿は の選択が費用を通じて に跳ね返る経路を扱えない。 式(2.12)は以降で使わず、 のみが現れる。 を延ばす契約変更が回収費用を増やす、といった対応関係は、 本稿の枠組みの中では書けない。
以上より、費用構造が同一でも異なる契約形態を選べるという自由度が、 ここでいうビジネスモデルにあたる。 ただしこの自由度は完全ではなく、 の選択は を通じて費用に跳ね返る。 が現れる箇所は注2.19にまとめた。
注 2.18 ( の切り替え費用と待機の価値). 本稿は を選択変数として扱うが、 これは切り替え費用をゼロと置くことに等しい。 一度選んだ を別の に変える費用は の設定項に属し、 一般にゼロではない。
不可逆投資の理論([8])によれば、 決定が不可逆であるのは物理的に取り消せないためではなく、 取り消しの費用が高く特定の経路に固定されるためである。 切り替え費用を 、 の変更で得られる余剰の増分を とすると、
第三の場合には待機の価値が生じる。 不確実性が解消するまで を確定させないことが最適になりうる。 本稿はこの含意を扱わない。第8章の一人事業では 切り替え費用が相対的に大きいため、この論点は無視できない可能性がある。
注 2.19 ( が現れる箇所). 定義2.14の量は以降で繰り返し用いる。 は の優位として定義し(第6章)、 限界費用がゼロに近いことが容量制約を緩める条件となり(第8章)、 と がともに事前指定できることが複製可能性の条件となる(第9章)。 物理層はこの の性質を指す(第6.3節)。
例 2.20 (同一の 、異なる ). 同一の業務用ソフトウェアを、次の三通りで提供できる。
| 決済 | (期央、顧客1名) | |
| 買切り | 導入時に240,000円 | −120,000 円 |
| 年額 | 毎年初に60,000円 | −30,000 円 |
| 月額後払 | 毎月末に5,000円 | +2,500 円 |
技術は同一であり、限界費用も同一である。異なるのは のみだが、 の符号が反転し、必要な運転資本が変わる。
2.7 権利と行使の乖離
自由度 (2) と (5) は連動している。 が に比例する場合、 顧客は使った分だけ支払うため、権利と行使は一致する。 が と独立な場合にのみ、両者が乖離しうる。
式(2.8)の自由度(5) が立つとき、次を定める。
注 2.22 (乖離が生じる契約形態). 式(2.15)が正となりうるのは、契約が を明示的に定める場合に限られる。
の従量契約では、顧客の支払総額は である。 利用しなければ支払いも生じないため、契約は上限 を定める必要がなく、 差 が定義されない。
が に依存しない定額契約では、 対価が利用量と無関係に定まるため、契約は権利の範囲 を明示する。 このとき が実現しうる。 二部料金 では、固定部分 に対応する範囲についてのみ乖離が生じる。
これは定義2.21の帰結であり、独立した主張ではない。 が外生に与えられることを前提とする。 顧客がメニューから を選ぶ場合は同時決定となり、 差を取ることの意味が変わる(第19.4.1節)。
注 2.23 (容量制約の一般形と本稿の簡略化). 供給側の容量には、施設の収容人数、設備の台数、人員の可処分時間などが該当する。 第2章の定義より は 上の関数であるから、 容量制約の一般形は各時刻で評価される。
| (2.16) |
容量それ自体が時刻に依存するのは、営業時間、設備の稼働時間帯、 人員の配置が時間によって変わるためである。
本稿では以下、 を定数として扱う。 すなわち式(2.16)を期間全体で積分した
| (2.17) |
の形で用いる。 は総量を表す。
この簡略化は、需要の時間分布が会員間で概ね等しく、 かつ容量が時間帯によらず一定である場合に正当化される。 両者が成立しない場合、拘束するのはピーク時刻のみであり、 式(2.17)は必要以上に強い条件となる。 第16章では、この簡略化が現実と合わない観測を扱う。
命題 2.24 (容量制約下の会員制). 式(2.17)の容量制約が存在し、 会員数 と平均利用 が独立に決まるとき( は粗利率に用いるため会員数は と書く)、 定額会員制 が実行可能であるためには
| (2.18) |
が必要である。すなわち低稼働が実行可能性の条件になる。
証明. 会員数を 、各会員の契約上の上限を とする。 全会員が権利を行使すれば需要は となる。 実行可能性は を要求する。 一方、会員が に価値を感じて加入している以上 が通常成立する (そうでなければ容量制約が拘束していない)。 両者を合わせると を得る。 □
例 2.25 (二種の会員制). 定員100名の施設が1,000名の会員を持ち、月会費8,000円を課すとする。 を「毎日利用可能」とすれば は容量を大きく超える。 実際の平均利用率が10%であれば で制約はぎりぎり満たされる。 利用率が30%に上昇すると事業は物理的に破綻する。
対照的に、会費が仕入割引の権利を与える形態では容量制約が存在せず、 利用率の上昇は仕入規模の拡大を通じて有利に働く。 外形上は同じ族2-1 に属するが、実行可能領域の形が異なる。