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v0.28.9 — 本稿は建設中です。理論の構成、命題、実証の結論はいずれも変更されうるものです。概要

Chapter 16
法人企業統計による実証:κ と CCC の横断

16.1 位置づけ

第I部で定義した κ と CCC を、 法人企業統計の業種別・規模別の集計に当てる。二つの横断を行う。

規模の横断では、信用の向きが規模階層とどう対応するかを見る。 第6.3節は信用層を交渉力の写像として書いており、 そうであれば小規模ほど与信の出し手になるはずである。

時間の横断では、CCC の変化が業界の状態、 すなわち需要が逼迫しているかどうかの指標になるかを見る。 ただし「業界が熱い」は一次元ではなく、CCC が触れるのはその一方の軸にすぎない。 これを次節で確定する。

結論を先に述べると、どちらの含意も外れた。信用の向きは符号が逆であり、 先行性は完全に消滅した。

16.2 ホットとコールドは一次元ではない

測定の前に、判定対象を確定する。 式(5.6)の g⋆ = (m + d − I∕r)∕CCC は、 収益性を表す分子と資金繰りを表す分母という別の二軸から成っていた。 同様に、業界が熱いことと、そこへ参入して得することは別である。

需要が逼迫していても、その需要への到達権を仲介者が押さえていれば、 余剰は参入した側に残らない。第17章では T𝑎𝑐𝑞 の価格が20ポイントに達することを見る。 したがって二軸で考える必要がある。

軸 指標

測定可能性

需要の逼迫 κ の変化、成長率

法人企業統計で測定可能

余剰の取りやすさ T𝑎𝑐𝑞 の価格、ϕ𝑏𝑎𝑟𝑔 の集中度

業種横断の指標が存在しない

表 16.1: ホット・コールドを判定する二軸と測定可能性。

本章で扱えるのは前者のみである。四象限のうち上下は区別できるが左右は区別できない。

注 16.1 (横軸が測れない構造的な理由). これは資料の不足ではなく、分類の非対称による。

業種分類は参入者側の目線で切られている。ある事業者が情報通信業であれば 情報通信業として集計される。ところが仲介者は業種を跨ぐ。 決済基盤は情報通信業に属しながら、小売・飲食・旅行・教育のすべてに対して仲介する。

したがって ϕ𝑏𝑎𝑟𝑔仲介 を業種別に足し上げても、 仲介者の取り分はどこか一つの業種に計上されるだけであり、 どの業種から取ったかは復元できない。 第2.6節の記法でいえば、仲介者は主体の添字 i の一つであって、 Φ の類型でも業種でもない。

参入者側の利益率には仲介への流出が既に反映されているが、 それが流出によるのか他の要因によるのかは業種別集計から分離できない。 分離には仲介者側から見た断面が必要であるが、 それが得られない理由は第17.5.1節で述べる。

本章で扱う理論量
κC 式(3.2)

DSO。35–71 日(規模別)

κS 式(3.2)

−DPO。DPO は 21–44 日(規模別)

W,r 第5章

運転資本、売上高

CCC 式(5.1)

全産業 37 日、業種別 5–210 日

g⋆ 式(5.6)

m 未取得のため仮定値で例示

m 第5章

未取得

表 16.2: 本章で扱う理論量の一覧。

16.3 データ源

法人企業統計調査の時系列データ(e-Stat 統計表ID 0003060791)を用いた。 統計法に基づく基幹統計調査であり、年次別調査は全ての営利法人等を対象とする。 資本金階層は2百万円未満まで分かれており、 第12.9節で問題とした上場企業偏重が生じない。

取得したのは受取手形、売掛金、製品又は商品、支払手形、買掛金、売上高の6項目である。 第16.10節では、これに棚卸資産(当期末)を加えた突合を行う。 既製の回転期間指標ではなく原数値を取得したのは、 統計側の定義(分母が売上高か売上原価か)に依存せず 第5章の定義をそのまま適用するためである。

DSO = 受取手形 + 売掛金 売上高 × 365 (16.1) DPO = 支払手形 + 買掛金 売上高 × 365 (16.2) CCC = DSO + DIO −DPO (16.3)

これらは式(3.2)の信用ポジションを日数で表したものである。すなわち

κC ↔DSO,κS ↔−DPO,∑ iκi ↔DSO −DPO (16.4)

と対応する。∑ ⁡ iκi > 0 であれば与信の出し手である。 また式(5.1)の運転資本は W = (DSO + DIO −DPO) × r∕365 にあたる。

16.4 規模と与信の向き

16.4.1 検証する含意

登録した含意:小規模階層ほど DSO −DPO が大きい。 すなわち小規模ほど与信の出し手になっている。

根拠は第6.3節の「信用層は交渉力の写像である」という主張であった。 交渉力のない小規模企業は支払いを待たされる側に置かれるはずだ、という推論である。

16.4.2 結果

規模(資本金) DSO DIO DPO DSO−DPO
10億円以上 71 20 44 27
1億円以上 – 10億円未満 61 20 47 15
5千万円以上 – 1億円未満 47 20 37 10
2千万円以上 – 5千万円未満 49 15 39 10
1千万円以上 – 2千万円未満 53 18 35 18
1千万円未満 35 12 21 14
表 16.3: 資本金階層別の DSO・DIO・DPO と DSO−DPO。

全産業(除く金融保険業)、2024年度、単位は日

図 16.1: 資本金階層別の DSO と DPO(全産業、2024年度)。小規模階層は双方とも短い。

この含意は棄却される。符号が逆である。 10億円以上が27日、1千万円未満が14日であり、大企業のほうが与信の出し手である。 この順序は2015年から2024年まで10年間一貫しており、 大企業側はむしろ19日から27日へ拡大している。

16.4.3 推論の誤り

誤りは特定できる。DSO と DPO が両方とも動くことを見落としていた。

小規模企業は売掛金を待たされる(DSO が不利になる)。 しかし同時に、仕入先からも信用されないため買掛金を伸ばせない。 図16.1のとおり、1千万円未満の DPO は21日であり、 10億円以上の44日の半分以下である。

交渉力の欠如は両側に作用する。回収も遅いが支払いも早い。 差し引きすると交渉力の弱さは正味の与信ポジションには現れない。

命題 16.2 (与信を出すには資本が要る). 正味の与信の出し手、すなわち ∑ ⁡ iκi > 0 である主体は E > A を満たす。

証明. 命題5.2の基本不等式より W ≤ E − A である。 W = ∑ ⁡ iκi + Inv で Inv ≥ 0 であるから、 ∑ ⁡ iκi > 0 なら W > 0、したがって E − A > 0 を得る。 □

第8章の E ≈ 0 では逆に κ < 0 が要求された(系5.4)。 DSO 71日という長期の回収を許容できるのは、それを支える資本があるためである。

16.4.4 業種によって符号が割れる

業種 10億円以上 1千万円未満 差
情報通信業 64 15 +49
建設業 67 19 +48
全産業 27 14 +13
製造業 26 24 +2
職業紹介・労働者派遣業 24 25 −1
小売業 −16 6 −22
表 16.4: 業種別の DSO−DPO(資本金10億円以上と1千万円未満の比較)。小売業のみ符号が反転する。

DSO−DPO、2024年度、単位は日

小売業のみ符号が反転する。 大手小売の − 16 日は第I部で述べたマイナスの信用ポジションそのものである。 即時に現金を回収し、仕入は後払いとする構造であり、 ここでは大企業が与信の受け手、小規模小売が出し手となっている。

情報通信業と建設業の + 49 日は、大企業が受託の立場で長期の立替を担うことを示す。 第II部の族1-3(後払単発)および族5-3(コストプラス)の領域である。

したがって「大企業ほど与信の出し手」という命題自体も業種を跨いだ平均にすぎない。 決定しているのは規模ではなく、その業種で支配的な Φ である。 第IV部で「κ の水準は業種間で構造的に異なるため横断比較は無意味」と 記録した教訓が、規模軸でも成立していた。

16.4.5 第8部への含意

第8章では、無資産の一人事業には κC < 0 が要求されると演繹した。 データはその要求が満たされていないことを示す。 1千万円未満の階層は DSO 35日、DPO 21日で、正味14日の出し手である。

ただし登録した際に想定した形とは異なる。 小規模層が極端に κ > 0 なのではなく、DSO も DPO も双方が短い。 取引そのものが小さく短い。実現可能領域の外にいるというより、 別の座標にいるという見え方になる。

16.5 CCC の景気先行性

16.5.1 検証する含意

登録した含意:CCC の変化率は売上高変化率に対して先行または同期する。 特に売上債権回転期間の悪化は売上高の減速に先行する。

CCC の年次変化 ΔCCC(t) と売上高成長率 g(t + k) の相関を 業種別に算出し、集約系列と短期系列を除く45業種で集計した。

16.5.2 結果

ラグ 平均相関 中央値 負の割合 符号検定
先行 k = −1 0.036 0.058 47% p = 0.72
同期 k = 0 −0.159 −0.228 69% p = 0.008
遅行 k = +1 0.072 0.118 31% —
遅行 k = +2 0.085 0.035 44% —
表 16.5: ΔCCC(t) と売上高成長率 g(t + k) のラグ別相関(45業種集計)。

同期は支持された。 CCC の悪化と売上高の減速は同一年度に生じる。 45業種中31業種で負の相関、符号検定で p = 0.008 である。

先行は完全に棄却された。 47% が負というのは無情報である(p = 0.72)。 CCC の変化は翌年度の売上高について何の情報も持たない。

16.5.3 同期の負相関は分母効果かもしれない

機構が想定と逆であった可能性が高い。 CCC = W∕r は分母に売上高を持つ。 売上が減少すれば、在庫と売掛金が同速度で減少しない限り CCC は定義上悪化する。

第IV部で族2の媒体別パネルを扱った際、 これを対抗仮説として明示した。発行額が縮小して比率が機械的に上昇する、という論点である。 本章では第16.9節でこの分離を行い、 分母効果の寄与は17%程度であることを示す。

主張

判定

CCC の変化が売上高変化に同期する

支持。分母効果の寄与は17%(第16.9節)

CCC の変化が売上高変化に先行する

棄却(p = 0.72)

CCC が景気先行指標になる

棄却
表 16.6: 先行性に関する三つの主張の判定。

16.5.4 符号が業種で割れることは発見である

同期相関で |r| > 0.4 となる業種は45中13である。

負に強い業種 r 正に強い業種 r
パルプ・紙・紙加工品製造業 −0.78 農業、林業 +0.80
金属製品製造業 −0.67 その他の輸送用機械器具製造業 +0.69
情報通信業 −0.58 宿泊業、飲食サービス業 +0.54
生産用機械器具製造業 −0.53 農林水産業 +0.52
表 16.7: 同期相関 |r| > 0.4 の業種(負に強い4業種・正に強い4業種)。

負に強い業種はいずれも受注生産型で在庫と売掛金が大きく、分母効果が強く出る条件と一致する。

一方、正の業種が存在することが重要である。 分母効果のみであれば全業種で負になるはずである。 正の業種は、売上が伸びるときに CCC も伸びる構造、 すなわち成長のために運転資本を積む側であり、 式(5.6)の g⋆ が拘束している領域にあたる。

したがって CCC の変化には分母効果以外の成分も含まれる。 ただし本データでは分離できていない。

16.6 予期しなかった観測:CCC の長期上昇

検証とは別に、事前に想定していなかった事実が観測された。

図 16.2: 全産業(除く金融保険業)の CCC と正味与信ポジションの推移。

図16.2のとおり、全産業の CCC は2000年度の24.9日から2024年度の37.2日へ、 25年間でほぼ単調に増加している。正味与信ポジションも9.8日から18.5日へ倍増した。 日本の企業部門全体が、運転資本をより多く抱える方向へ動いている。

注 16.3 (集計値が測っているもの). 系3.6より、法人部門の内部で閉じた信用ポジションは 集計で相殺されて消える。したがってここでの CCC は企業間信用の指標ではなく、 対非法人ポジションと在庫の合計を売上で割った量である。 実際、表16.3の全産業で DSO − DPO は 13 日であり、 CCC = 37.2 日との差の大部分を在庫が占める。 集計の CCC の主成分は在庫である。 個別企業に現れる負の CCC が集計に現れないのも同じ理由による。

16.6.1 ただし成長制約は悪化していない

この観測から成長制約の悪化を結論したくなる。 式(5.6)の分母が5割増えているからである。 この推論は誤りである。

同期間に営業利益率 m は 2.62% から 5.01% へ 91% 改善しており、 分母の悪化を上回る。結果として比 m∕CCC は 38.5% から 49.2% へ上昇した (命題14.2)。

2000年度 2024年度 変化
CCC 24.9 日 37.2 日 +49%
m 2.62% 5.01% +91%
m∕CCC 38.5% 49.2% +28%
表 16.8: CCC、m、m∕CCC の2000年度から2024年度への変化。

ここで用いたのは m∕CCC であり、 系5.7の g⋆ = (m + d − I∕r)∕CCC ではない (注14.3)。 d と I を長期に遡って取得していないためである。

注 16.4 (比を扱う際の規律). CCC は比の分母であり、それ単独では成長制約について何も述べない。 CCC の上昇のみを観測して結論を導けば、比の一方だけを見たことになる。 比の一方のみを測って結論を導くことは、 第12.6節が戒める事後的物語化と同型の誤りである。 異なるのは、後者が解釈の後付けであるのに対し、 これは測定の不足を推論で埋めようとする点にある。

CCC 上昇そのものの要因は依然として未検証である。 産業構成の変化、支払サイト規制、手形の減少、金利水準のいずれが寄与しているかは 本稿では分離していない。ただしこの問いの重要性は、 g⋆ が悪化していない以上、大きくない。

16.7 業種別の水準(参考)

第IV部の教訓どおり水準の横断比較は解釈できないが、 Φ の分布を示す参考として記録する。

CCC が長い業種 日 CCC が短い業種 日
リース業 210 飲食サービス業 5
不動産業 89 水運業 7
化学工業 80 その他の運輸業 9
繊維工業 78 娯楽業 9
はん用機械器具製造業 77 自動車・同附属品製造業 9
生産用機械器具製造業 64 電気業 10
表 16.9: CCC が長い業種・短い業種(各上位6業種)。

2024年度、集約系列を除く

序列は第II部の類型と整合する。 リース業(族3-1)と不動産業は資産を先に取得して時間で回収する構造であり、 飲食サービス業(族1-1、即時交換)は κ ≈ 0 に張り付く。 第1回に述べた業種差の構造が、そのまま現れている。

16.8 CCC 上昇の要因分解

前節の CCC 上昇について、要因を分解する。 事前に次の含意を固定した。

登録した含意:CCC の上昇は、業種内効果より構成効果の寄与が大きい。 CCC の長い業種の比重が上昇したためである。

対抗仮説:業種内効果が支配的なら、構成とは無関係に 各業種で運転資本が増えていることになる。

16.8.1 シフト・シェア分解

系5.19より、全体の CCC は業種別の売上加重平均 CCC = ∑ ⁡ kwkCCCk である。この差分は二項に分かれる。

ΔCCC = ∑ kw¯kΔCCCk⏟ 業種内効果 + ∑ kΔwkCCC¯k⏟ 構成効果 (16.5)

⋅¯ を二期の中点とすれば式(16.5)は残差なしで厳密に成立する。 実際、w¯ = (w1 + w0)∕2、CCC¯ = (CCC1 + CCC0)∕2 を代入すると 右辺は ∑ ⁡ k(wk1CCCk1 − wk0CCCk0) に等しい。 これは測定のために導入した近似ではなく、 CCC が比であること(系5.19)の帰結である。

期間 ΔCCC 業種内効果 構成効果
2000 →2024(共通33業種) +11.4 日 +9.5 日(82.9%) +1.9 日(17.1%)
2010 →2024(共通45業種) +10.1 日 +9.9 日(98.1%) +0.2 日(1.9%)
表 16.10: ΔCCC のシフト・シェア分解(業種内効果と構成効果)。

この含意は棄却される。 業種内効果が8割から9割8分を占める。 分類が安定している2010年以降では構成効果はほぼゼロである。 サービス業化による説明は成立しない。

構成効果が小さい理由も明快である。 情報通信業が比重0.2%から5.8%へ増えて + 3.05 日を押し上げる一方、 電気機械器具製造業が6.3%から2.1%へ縮んで − 1.62 日、 広告業が5.6%から0.8%へ縮んで − 1.59 日となり、 押し上げと押し下げがほぼ相殺する。

16.8.2 業種内効果の成分分解

業種内効果を DSO、DIO、DPO に分ける。

期間 DSO DIO DPO 主因
2000 →2024 −0.93 +3.49 +6.90 DPO の短縮
2010 →2024 +5.26 +4.02 +0.62 DSO の伸長
表 16.11: 業種内効果の DSO・DIO・DPO への成分分解。

単位は CCC への寄与日数

系5.20に照らすと、DSO と DPO は τC と τS、 DIO は τinv に対応する。したがって

期間 契約の変化 ∑ ⁡ Δτi 運用の変化 Δτinv
2000 →2024 +5.97 日 +3.49 日
2010 →2024 +5.88 日 +4.02 日
表 16.12: 系5.20による契約の変化と運用の変化の分解。

両期間とも契約の変化が6割前後を占める。 CCC の上昇は、需要や在庫管理の変化より契約条件の変更に由来する。

期間によって主因が入れ替わる。 手形の推移がこれを説明する。

2000 2010 2024
受取手形 12.1 日 6.1 日 4.7 日
支払手形 15.3 日 7.2 日 5.1 日
表 16.13: 受取手形・支払手形の推移(2000・2010・2024年度)。

2000年代に手形は三分の一以下へ減少した。 支払手形が15.3日から7.2日へ8.1日分消えており、 DPO の短縮6.9日はほぼこれで説明がつく。 手形は κS < 0 を作る手段であり、その消滅が CCC を押し上げた。

2010年代には手形の減少が一巡し、DSO が5.26日伸びた。 内訳は受取手形 − 1.37 日、売掛金 + 6.62 日である。 手形が減り続けているにもかかわらず、売掛金がそれを上回って伸びている。 業種別では45業種中28業種で DSO が増加し、 卸売業(59 →70日)、小売業(22 →28日)、 情報通信業(62 →78日)、建設業(65 →71日)の寄与が大きい。

注 16.5 (科目移動と分離できない). 売掛金の伸長には二つの解釈がある。 実質的な回収期間の長期化と、電子記録債権への移行に伴う科目の移動である。 後者であれば CCC の上昇は見かけ上のものにすぎない。

分離には電子記録債権の残高が必要だが、 法人企業統計の調査項目に含まれない。 第13.2節の分類では(iii)識別不能に属する。

16.9 同期負相関の分離:分母効果の寄与

第16.5節で観測した同期負相関について、 需要の情報か CCC = W∕r の定義に由来する分母効果かを分離する。

対数差分をとると Δln⁡CCC = Δln⁡W −Δln⁡r である。 分母効果のみであれば W は動かない。したがって弾力性

β = Δln⁡W Δln⁡r (16.6)

を推定すれば、1 − β が分母効果の寄与となる。

β の理論値は 1 である。 式(5.1)より W = CCC ⋅ r であり、 CCC が一定なら Δln⁡W = Δln⁡r となる。したがって

Δln⁡CCC = (β − 1)Δln⁡r (16.7)

であり、β の 1 からの乖離は CCC の売上弾力性そのものである。 系5.20の式(5.10)はこの動きを契約の変化と運用の変化に分解している。

登録した含意:Δln⁡W と Δln⁡r は正の相関を持つ。 すなわち売上が減れば運転資本も減る。

16.9.1 結果

プール推定(44業種、946観測)

β = 0.830

決定係数

R2 = 0.076

業種別 β の中央値

0.625

業種別 β の標準偏差

1.161

分母効果の寄与 1−β

0.170
表 16.14: Δln⁡W と Δln⁡r の弾力性推定(式(16.6))。

この含意は支持される。 運転資本は売上にほぼ比例して動き、 分母効果に帰せられるのは17%程度である。 第16.5節の同期負相関は、大部分が需要側の情報を含む。

式(16.7)に β = 0.830 を入れると、CCC の売上弾力性は − 0.170 である。 すなわち売上が落ちる局面で CCC は上がる。 注5.11の増幅係数はこのとき大きくなるから、 需要の下振れが現金に伝わる度合いは不況期に強まる。 1 − β を「分母効果」と呼ぶのは計算上の呼称であって、 CCC が動いていないという意味ではない。

16.9.2 遅れ構造

命題3.12によれば W(t) は r の過去 τ 期間の積分に対応する。 CCC が長い業種では前年の売上高にも依存するはずである。 次を事前に登録した。

登録した含意(その1):Δln⁡r(t − 1) の係数 β1 は、 その業種の CCC が長いほど大きい。

登録した含意(その2):ラグを含めた総弾力性 β0 + β1 は 同時点のみの推定値 0.830 より大きく、分母効果の寄与は17%より小さい。

分布ラグ模型 Δln⁡W(t) = β0Δln⁡r(t) + β1Δln⁡r(t − 1) + 𝜀 を43業種886観測で推定した。

β0(同時点) 0.836
β1(1期ラグ) −0.015
総弾力性 0.821
R2 0.081
表 16.15: 分布ラグ模型の推定結果。

いずれの含意も棄却される。 β1 はほぼゼロであり、CCC との相関は − 0.101 で符号も逆である。 CCC < 30日の業種では β1 = +0.217、CCC ≥ 60日の業種では − 0.267 であった。 総弾力性は 0.830 から 0.821 へ微減し、分母効果の寄与は17%から18%へ実質的に不変である。

注 16.6 (命題3.12は棄却されない). 遅れ構造が検出されないことは、式(3.7)の誤りを意味しない。 CCC の水準は最大でも210日、大半は30–60日であり、 年次データの粒度では1年内に収まる。 β1 が有意となるには CCC が1年を超える必要があるが、そのような業種は存在しない。

四半期データであれば検出できる可能性があるが、 四半期別調査は標本法人の仮決算に基づくため、決算整理の影響を受ける。

注 16.7 (確度は限定的である). R2 = 0.076 は極めて低い。Δln⁡W の分散の92%は Δln⁡r で説明されない。 業種別のばらつきも大きく、β < 0.5 が14業種、β > 1.0 が13業種、 符号が負の業種も存在する(小売業 − 0.43、リース業 − 0.01)。

年次の Δln⁡W には決算期の在庫調整、大口取引の期ずれ、 会計方針の変更が混入する。 「分母効果が支配的でない」とは言えるが、 「需要の情報である」と積極的に主張するには不足である。

16.10 棚卸資産の範囲が結論に与える影響

本章の DIO は「製品又は商品」のみを用いており、 仕掛品と原材料を含まない。法人企業統計は「棚卸資産(当期末)」を別項目として持つため、 両者の差が過小計上の大きさになる。本節はその大きさを測る。

本節は含意の検定ではない。 同一のデータについて測定の定義を差し替え、 結論がどれだけ動くかを確認するものである。

16.10.1 二つの断面

「棚卸資産(当期末)」は二通りの切り口で取得した。 両者は識別している変動が異なるので、区別して読む必要がある。

断面

覆う範囲と、β を識別する変動

観測
規模断面

10業種 × 11規模階層 × 2015–2024年度。β は規模階層のあいだの変動で識別される

1,100
業種断面

62業種 × 全規模 × 2000–2024年度。β は業種と年度のあいだの変動で識別される

1,364
表 16.16: 棚卸資産の取得の二断面。

本章の推定(第16.9節)は45業種946観測であり、 業種断面と同じ設計である。したがって本章を是正する数値は業種断面のほうであり、 規模断面は別の問いに答えている。以下、断りのない数値は業種断面による。

16.10.2 水準は約二倍の過小である

DIO の倍率は中央値で 1.99 倍、 CCC の中央値は 28.0 日から 43.9 日に増える。 全産業(除く金融保険業)では2000年度が 24.9 日から 38.2 日、 2024年度が 37.2 日から 53.5 日である。

規模断面では倍率の中央値 1.89 倍、差は中央値 4.1 日・平均 8.4 日であり、 同程度の大きさが出る。

業種 DIO 製品 DIO 棚卸 CCC 製品 CCC 棚卸
製造業 19.2 50.4 41.6 72.8
建設業 9.7 33.8 39.8 63.9
全産業(除く金融保険業) 18.7 35.0 37.2 53.5
情報通信業 7.5 14.6 58.1 65.2
その他のサービス業 8.0 12.2 34.4 38.6
卸売業 24.2 27.6 32.9 36.3
飲食サービス業 3.4 6.1 4.9 7.7
宿泊業 6.5 8.9 21.8 24.2
小売業 24.4 25.4 23.3 24.2
職業紹介・労働者派遣業 0.2 0.5 32.8 33.0
表 16.17: 棚卸資産の範囲による DIO と CCC の差(全規模、2024年度、単位は日)。

差は業種によって桁が異なる。製造業と建設業で CCC が3割以上増える一方、 小売業と職業紹介・労働者派遣業ではほとんど変わらない。 仕掛品を持つ業種でのみ乖離が生じるという当然の構造だが、 第16.7節の業種別水準の順序が変わる大きさである。

16.10.3 差分は影響が小さいが、無視できるほどではない

ΔCCC について両定義を比較すると、業種断面の1,302観測で相関 0.882、 符号の一致は 86.8% である。 規模断面(990観測)では相関 0.976、符号一致 91.0% であり、 業種をまたぐほうが一致は落ちる。 業種によって仕掛品の比重が違うため、業種間の変動を含めると差が出る。

16.10.4 弾力性は、定義の是正でわずかに悪化する

共通標本で式(16.6)を推定する。 定義ごとに W > 0 となる観測が異なるため、 両定義とも W > 0 である観測に限って比較する。

断面 DIO の定義 β R2 分母効果 1 − β
業種断面 製品又は商品のみ 0.840 0.073 0.160
n = 955 棚卸資産(総額) 0.828 0.166 0.172
規模断面 製品又は商品のみ 0.900 0.092 0.100
n = 733 棚卸資産(総額) 0.960 0.213 0.040
本文の推定 製品又は商品のみ 0.830 — 0.170
表 16.18: 棚卸資産の範囲による弾力性 β の差。共通標本による。

どちらの断面でも、棚卸資産を総額で取ると決定係数は倍以上になる。 運転資本は、仕掛品と原材料を含めたほうが売上によく比例する。

しかし分母効果の動く向きは断面で逆になる。 規模断面では 0.100 から 0.040 へ小さくなるのに対し、 業種断面では 0.160 から 0.172 へわずかに大きくなる。

注 16.8 (断面が変われば向きが変わる). 規模断面では是正が分母効果を小さくし、業種断面では大きくする。 両者は誤差ではなく、識別している変動が違う(表16.16)。 規模階層のあいだでは、大企業ほど仕掛品を多く抱えるため 総額で取ると W が売上によく比例する。 業種のあいだでは、仕掛品の比重そのものが業種の性格として散らばるため、 総額で取っても比例は改善しない。

本章の推定は業種と年度の変動で識別されているので、 本章に当てはまるのは業種断面のほうである。 一方の断面で測った向きを他方に持ち込むことはできない。 標本の覆う範囲は、結論の及ぶ範囲と同じではない。

注 16.9 (標本を揃えないと符号が逆に出る). 定義ごとに W > 0 の観測が異なるため、標本を揃えずに推定すると 規模断面の β は 0.894 と 0.787 となり、 分母効果が増えるという逆の結論が出る。 共通標本に限れば 0.900 と 0.960 である。 定義の差を測るときは、定義の変更が標本の構成を変えることに注意を要する。

16.10.5 判定

第16.9節の結論は維持されるが、 強まるのではなく、そのまま維持されるにとどまる。

主張

判定

水準の絶対値は解釈できない

支持。CCC の中央値が 28.0 日から 43.9 日に動く

差分と相関を扱う分析には影響が小さい

支持。ただし ΔCCC の相関は 0.882 で、規模断面の 0.976 より低い

分母効果は支配的でない

支持。ただし是正すると 0.160 から 0.172 へわずかに増える
表 16.19: 棚卸資産の範囲に関する三つの主張の判定。業種断面による。

三つとも支持されるが、いずれも判定は強くない。 1 − β が 0.172 であることは、運転資本の増加のうち 売上に比例しない部分が 17% あるということであり、 支配的ではないが無視もできない。

16.11 容量制約の簡略化が合わない観測

注2.23で、Cap を定数とする簡略化を導入した。 本節はこれが現実と合わない事例を記録する。理論の修正ではなく、限界の記録である。

16.11.1 観測

総合型フィットネスクラブ大手一社の2026年時点の料金体系を確認した。 同社は60歳以上を対象とする平日昼間限定プランを、通常プランと並行して提供している。 両者は週1(月4回まで)、週2(月8回まで)、無制限の三段階で構成が同一であり、 価格のみが異なる。

施設カテゴリ 週1 週2 無制限
I 4.0% 10.3% 22.1%
II 4.8% 9.9% 21.5%
III 4.1% 9.6% 21.7%
IV 4.6% 10.0% 21.5%
表 16.20: 60歳以上プランの割引率(施設カテゴリ別、利用量段階別)。

60歳以上プランの通常プランに対する割引率

四カテゴリすべてで、割引率が利用量とともに単調に増加する。 週1では約4%にとどまるが、無制限プランでは約22%に達する。 週1から無制限への価格倍率は、通常プランで1.67–1.74倍、 60歳以上プランで1.36–1.43倍である。

16.11.2 簡略化との不整合

式(2.17)の下では、無制限プランを大幅に値引きすることは 容量制約を圧迫するため説明が難しい。 一方、式(2.16)の一般形では説明がつく。 平日昼間という時間帯の限定により supp ⁡ δi が Cap(t) の遊休部分に収まるため、 ピーク時刻の制約を悪化させずに総量を増やせる。

すなわち事業者は総量ではなく時間分布を操作している。 本稿の簡略化はこの手段を表現できない。

16.11.3 この観測から理論を修正しない理由

注 16.10 (事例からの一般化を行わない). 本節の観測は一社の料金表に基づく。第I部は 全ての Φ を覆うことを意図した抽象であり、 第IV部は特定の業種と企業に限定された具体である。 具体は網羅性を持たない。

n = 1 の観測から式(2.17)を書き換えれば、 一つの事例が28類型すべてに波及する。 これは第12.6節が戒める事後的物語化と同型であり、 標本一件から母集団の構造を改訂することにあたる。

理論の修正が正当化されるのは、演繹的な誤りが見つかった場合、 複数の独立な領域で同じ限界が現れた場合、 または第II部の演繹に影響する場合である。 本節はいずれにも該当しない。 したがって観測として記録し、修正は行わない。

16.11.4 容量制約の簡略化

第8.6節に関連して、次の含意を事前に固定した。

登録した含意:高齢層ほど定額契約より都度払いを選ぶ。 社会情動的選択性理論が予測する「限られた時間展望のもとでは確実なものを選ぶ」 という選好の帰結。定額契約はオプションの束であり、都度払いは確実である。

対抗仮説:高齢層は可処分時間が多く利用回数が増えるため、 定額のほうが有利になる。この説では定額選好が高まる。

符号が逆であるため識別可能な形をしている。

しかし消費者側の選択データが得られず、検証できていない。 必要なのは年齢別の契約形態選択分布であり、事業者は保有するが公開しない。

得られたのは供給側の価格設計のみである。 上記の割引構造は、高齢層がより多く利用するという前提に立っており、 対抗仮説と整合し、登録した含意とは逆を向く。 ただしこれは事業者の信念であって消費者の選択ではない。 企業が需要を正しく読んでいるという前提を要するため、間接証拠にとどまる。

16.12 本章の限界

(1)
分母効果の分離は確度が低い。 弾力性推定により寄与は17%程度と得たが、 R2 = 0.076 であり、Δln⁡W の変動の大半が未説明である。
(2)
四象限の左右が測れていない。 余剰の取りやすさについて 業種横断の指標が存在せず、需要側のみの一次元判定にとどまる。
(3)
売掛金伸長の解釈が確定しない。 第16.8節により 産業構成は排除し、手形の消滅で半分を説明したが、 2010年代の売掛金伸長が実質的な長期化か科目移動かを分離できていない(注16.5)。
(4)
高齢層の契約選択を検証していない。 第16.11節のとおり、 消費者側の選択データが得られていない。供給側の価格設計は対抗仮説と整合するが、 間接証拠にとどまる。
(5)
棚卸資産が「製品又は商品」のみである。 仕掛品と原材料を含めていないため、 DIO は過小であり、CCC の水準は実際より短く出ている。 第16.10節で10業種について差を測り、 差分と相関を扱う分析には影響が小さいことを確認したが、 45業種の推定を是正するには当該項目を全業種について取得する必要がある。

16.13 二つの含意が両方外れたことについて

信用の向きは符号が逆、先行性は消滅した。登録した含意は両方とも外れている。

第IV部で事前登録の効果を記録したが、本章ではそれがより明瞭に働いた。 含意を先に固定していなければ、同期の負相関を 「CCC は景気指標として機能する」と読み、 大企業の与信ポジションを「大企業が取引先を支えている」と解釈していた可能性が高い。 いずれも後付けの物語である。

なお、含意が外れたことは枠組みの棄却ではない。 CCC、κ、Φ という記述は有効に機能しており、 外れたのはこれらの量が何を予測するかについての推測である。 記述の道具としての有効性と、予測の道具としての有効性は別である。