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v0.28.9 — 本稿は建設中です。理論の構成、命題、実証の結論はいずれも変更されうるものです。概要

Chapter 6
余剰とレイヤー:源泉・耐久性・可変性

6.1 余剰の三分解

注2.3で予告した余剰 ϕ を、ここで定める。 期間利益を源泉によって三分解する。この分解は本稿の整理である。 第三項は式(2.15)の認知余剰であり、 式(2.8)の自由度(5) が立つときに正となりうる。 第一項と第二項は定義6.2で定める。

ϕ = ϕprod + ϕbarg + ϕcog (6.1)

記号 源泉

性質と減衰

ϕprod 限界費用 c(δ) の優位

技術的優位。他者の取り分を減らさない。競争で削られるが投資で再生産できる

ϕbarg 写像 Φ

取り分の移転。∑ ⁡ iϕi = 0 のゼロサム。制度層が制約を課す

ϕcog δ¯ と δ の乖離

学習・規制・UI改善で削られ、原則として回復しない

表 6.1: 余剰 ϕ の三分解と、各成分の源泉・耐久性。

注 6.1 (リスク引受の対価はどこに入るか). 第2.6節の移転と集約を業として行う主体、 すなわち保険者や決済代行のような仲介者は、 リスクを引き受けた対価を得る。これは式(6.1)のどこに属するか。

集約によって実際に分散が減少した部分は ϕprod である。 命題2.9により n を増やせば σ2∕n の項は消え、 これは技術的な優位であって他者の取り分を減らさない。

一方、式(2.11)の極限 ρσ2 に対応する部分は消せない。 これを引き受ける対価は移転であり、∑ ⁡ iϕi = 0 を満たす。 すなわち ϕbarg に属する。

実務上、両者は分離されずに一つの料率として現れる。 本稿では便宜的に ϕrisk と表記する場合があるが (第17.5.1節)、これは新たな成分ではなく、 ϕprod と ϕbarg の未分離な和である。

定義 6.2 (生産余剰と交渉余剰). 定義2.14の限界費用 c(δ) と、 支配力が働かない場合の価格 p∗ を用いて

ϕprod =(p∗− c(δ))δ (6.2) ϕbarg =(p − p∗)δ (6.3)

と定める。p は実際の価格である。p∗ の性質は注6.3で述べる。

注 6.3 (p∗ は反実仮想である). 定義6.2は p∗ を必要とするが、これは観測されない。 支配力が働かない状態の価格を想定する反実仮想であり、 産業組織論で市場支配力を測る際の標準的な手続きと同じ構造を持つ。

したがって ϕprod と ϕbarg の分離には、 p∗ を特定する追加の仮定が要る。

要る仮定は一つである。支配力以外の条件が等しい対照が観測できること。 これがあれば対照の価格を p∗ と読み、差を ϕbarg に帰せる。 第17章はこの仮定を、 同一プラットフォーム内で機能のみが異なる二つの料率という形で満たす。 仮定が満たされない場合、本稿は ϕprod + ϕbarg の 和までしか述べない。

認知余剰の減衰を、取引頻度 ν の関数として

ϕ˙ cog = −λ(ν)ϕcog,λ′(ν) > 0 (6.4)

とモデル化する。

命題 6.4 (減衰の含意). 式(6.4)の解は ϕcog(t) = ϕcog(0)e−λ(ν)t であり、 半減期は ln⁡2∕λ(ν) である。 すなわち取引頻度が高いほど認知余剰は速く消える。

証明. 線形一階常微分方程式の直接積分による。 ϕ(t) = ϕ(0)e−𝜆𝑡 = ϕ(0)∕2 を解けば t = ln⁡2∕λ を得る。 λ′(ν) > 0 より半減期は ν の減少関数である。 □

例 6.5 (頻度と半減期). λ が年間取引回数に比例し、λ = 0.02ν とする。

財 年間取引回数 ν λ 半減期
日用品 200 4.0 0.17 年
月額サービス 12 0.24 2.9 年
年契約(保険、会員権) 1 0.02 34.7 年
表 6.2: 取引頻度 ν と認知余剰の半減期(数値例)。

6.2 余剰と現金の関係

ϕ は式(3.10)を通じてのみ現金に効く。三成分の効き方は同じではない。

命題 6.6 (認知余剰の認識は現金を動かさない). 前払い契約で pδ¯ を受領し、履行が δ < δ¯ で終わったとする。 期限到来により残債務が消滅して ϕcog が認識されるとき、 式(3.9)の M は変化しない。

証明. 評価を v(δ) = pδ とすると、認識前の信用ポジションは κC = 𝑝𝛿 − pδ¯ = −p(δ¯ − δ) = −ϕcog である。 認識により κC は 0 になり、W は ϕcog だけ増える。 同時に式(3.10)より E が同額だけ増える。 式(3.9)において両者は打ち消し合う。 □

認知余剰は、認識の時点では現金を生まない。 現金は前払いを受け取った時点で既に入っており、 そこでの効果は ϕcog ではなく κC < 0 として現れていた。 式(2.15)の ϕcog と、 第3章の未履行残高は、同じ取引の別の断面である。

成分

現金が動く時点

ϕprod、ϕbarg

決済時点。τC だけ遅れる

ϕcog

契約時点。認識時点ではない

表 6.3: 式(6.1)の三成分と現金が動く時点。

注 6.7 (会計上の扱いと一致する). 命題6.6は、収益認識基準における 契約負債からの振替(breakage)と同じ内容である。 本稿における意味は、この振替が式(3.9)の E と W の 両方を同額動かすため相殺される、という形で κ の言葉に翻訳される点にある。

系 6.8 (認知余剰から積める自己資本には上限がある). 式(6.4)に従って減衰するとき、 ϕcog から蓄積できる自己資本の総額は

∫ 0∞ϕ cog(0)e−λ(ν)s𝑑𝑠 = ϕcog(0) λ(ν) (6.5)

で抑えられる。λ′(ν) > 0 より、取引頻度が高いほど上限は小さい。

式(6.5)を系5.3に代入すると、認知余剰以外の源泉がない事業について

r ≤E(0) + ϕcog(0)∕λ(ν) − A CCC (6.6)

を得る。式(6.6)は、取引頻度が到達できる事業規模の上限を決めることを示す。 式(6.4)は半減期の議論にとどまらず、第5章の制約に接続する。 係数の値には根拠がなく、比の構造のみを示す例示である。 日常的に購入される財では認知余剰がほとんど残らず、 年単位の契約には長く残るという序列が導かれる。

6.3 レイヤー構造:可変性による五層の整理

以上を、可変性の順に五層として整理する。上の層ほど外部要因で書き換えられやすい。

層 対象

可変性

制度層 規制、商慣行、UI規範

外生的に変化し、下の四層をまとめて書き換える

認知層 δ¯ − δ

学習と規制で単調に削られる

信用層 κi の配分

交渉力に依存。制度層が制約を課す

時間層 supp ⁡ (π) と supp ⁡ (δ) の関係

物理層にかなり規定される

物理層 Cprod、限界費用、資産の重さ

技術と物理法則。短期には所与

表 6.4: 可変性の順に整理した五層構造。

この順序は、余剰の耐久性の順序と一致する。 認知層と制度層に依存した ϕ は、法改正と顧客の学習という二方向から継続的に削られる。 物理層に由来する優位は削られにくい。

注 6.9 (制度層の作用は一様でない). 「制度層が制約を課す」と述べたが、その形式は少なくとも三つに分かれる。

形式

作用

本稿での例
参入要件

Φ の実行可能性を奪う

供託義務、登録制(第8.5節)
価格規定

選択肢を形骸化させる

上限制手数料(第IV部)
競争条件の操作

ϕbarg を間接的に削る

訴訟圧力、手数料自由化(注17.4)
表 6.5: 制度層が制約を課す三つの作用形式。

三者は削られ方が異なる。第一と第二は特定の Φ を選べなくするのに対し、 第三は Φ を残したまま価格を下げる。 近年の主流は第三の形式であり、価格を直接規定する形式は減少している (第17.8節)。

したがって「制度層に削られる」という記述は、 削られる速度と確実性については何も述べていない。 第17章では支配力に由来する手数料と 機能に由来する手数料が分離できる事例を扱うが、 そこで観測されるのは第三の形式による一度の引き下げであり、 継続的な減衰を示すものではない。