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v0.28.9 — 本稿は建設中です。理論の構成、命題、実証の結論はいずれも変更されうるものです。概要

Chapter 4
情報構造と目的関数:契約が書ける条件と経路制約

4.1 検証可能な共有情報

主体 i が観測できる情報を 𝒢i ⊆F とし、 当事者間で検証可能な共有情報を 𝒢 = ⋂ ⁡ i𝒢i と書く。

命題 4.1 (実装可能性). 決済スケジュール π が契約として実装可能であるための必要条件は、 π が 𝒢 可測であることである。

証明. π が 𝒢 可測でないとする。 このとき 𝒢 上で区別できない二つの状態 ω,ω′ で π(ω)≠π(ω′) となるものが存在する。 支払義務が ω か ω′ かに依存するにもかかわらず、 当事者はいずれであるかを共通に検証できない。 したがって支払額について合意に到達できず、第三者による履行強制もできない。 □

この条件が Φ の設計に強い制約を与える。 努力水準 a が 𝒢 に含まれないとき、a を条件とする契約は書けず、 観測可能な結果 y を条件とするしかない。

観測できるもの 契約形態

例

努力 a 投入連動

時間給、コストプラス

結果 y のみ 成果連動

成果報酬、ロイヤルティ、免責

どちらも部分的 混合

固定+歩合

表 4.1: 観測可能なものと対応する契約形態。

これは契約理論の標準的な結果であり([17])、本稿の寄与ではない。

注 4.2 (𝒢 が限るのは自由度(4) である). 命題4.1は、第2.5節の自由度(4)(状態依存性)に 直接効く。π を ω に依存させられるのは 𝒢 の範囲内に限られ、 𝒢 の外にある ω の区別は契約に書けない。

したがって 𝒢 は Φ の定義域ではなく値域の側を限る。 履行 δ は何でも選べるが、それに応じて π をどう動かせるかが制約される。

この制約は第II部の判定順序に現れる。 自由度(4) で判定される族は族5(成果・状態連動)であり、 π = h(y) の y が 𝒢 可測でなければこの族は実装できない。 第10章の族7の不可能性(命題10.6)も同じ形をとる。

注 4.3 (𝒢 の内生性). 本章は 𝒢 を所与として扱う。実際には事業者は 𝒢 に投資できる。 追跡調査を行えば結果 y が観測可能になり、検証可能な情報の範囲が広がる。

第15.3.5.0節で扱う人材サービスの掲載項目に 「離職が判明せず」の人数欄が存在することは、 𝒢 の広さが事業者ごとに異なり、かつ選択の対象であることを示している。

したがって命題4.1は、 𝒢 を固定した短期の条件として読むべきである。 長期には 𝒢 自体が Φ の一部となる。

注 4.4 (方向の区別). リスク移転には方向の異なる二種がある。 成果報酬とロイヤルティは、努力が観測できないためエージェント側にリスクを残す形式である。 一方コストプラスは、努力は観測できるが結果が不確実なためプリンシパル側にリスクを戻す形式である。 両者を「リスク分担」として一括すると、この差が消える。

例 4.5 (成果連動の最適強度). 線形契約 π = α + by を考える。 エージェントの絶対的リスク回避度を γ、結果のノイズ分散を σ2 とすると、 (r は第5章で売上速度に用いるため、ここでは γ と書く) 最適な成果連動係数は

b⋆ = 1 1 + γσ2k (4.1)

の形をとる(k は努力の限界費用に関する定数、[18])。 σ2 が大きいほど b⋆ は小さい。 すなわち結果が騒がしいほど成果連動は弱めるべきである。

数値例として 𝛾𝑘 = 1 とすると、σ2 = 0.5 で b⋆ = 0.67、 σ2 = 2 で b⋆ = 0.33、σ2 = 9 で b⋆ = 0.10 となる。

4.2 目的関数:経路ごとに課される現金制約

制約に現れる M(t,ω) は命題3.15の現金残高である。

定義 4.6 (最適化問題). 期間利益を ϕt、割引因子を β として、

max ⁡ Φ 𝔼 [∑ t∈T βtϕ t] (4.2) s.t. M(t,ω) ≥ 0∀ ⁡t ∈ T,∀ ⁡ω ∈Ω (4.3)

式(4.3)の性質が本稿の中心である。

命題 4.7 (経路制約の非可換性). 𝔼[M(t)] ≥ 0 は式(4.3)を含意しない。 また倒産時刻 Tins = inf ⁡ {t : M(t) < 0} は吸収状態であり、 t > Tins における ϕt は実現しない。 τi は決済の遅れに用いているため、倒産時刻は Tins と書く。

証明. 第一の主張は反例で足りる。 M(t) が確率 1∕2 で + 100、確率 1∕2 で − 100 をとるとき 𝔼[M(t)] = 0 ≥ 0 であるが、確率 1∕2 の経路で制約が破れる。

第二の主張は、M(Tins) < 0 において支払不能が生じ、 以後の履行 δ が実行できないことによる。 したがって目的関数は正しくは 𝔼[∑ ⁡ t<Tinsβtϕt] と書かれるべきであり、 Tins は Φ に依存する。 □

系 4.8 (黒字倒産). ϕt > 0 が全ての t で成立していても、 式(4.3)が破れうる。すなわち黒字倒産は 目的関数(4.2)の失敗ではなく制約(4.3)の失敗である。

証明. 第5章の式(3.9)より M = E − W − A である。 ϕ > 0 は式(3.10)を通じて E を増やすが、 W の増加がそれを上回れば M は減少する。 命題5.9はこの場合の枯渇時刻を与える。 □

黒字倒産の条件は第5章で g > g⋆ として書き直される(注5.8)。

例 4.9 (黒字倒産の数値例). 粗利率 m = 10% の事業が、年商1億円から2億円へ成長する。利益は 2,000万円である。

顧客への与信が売上の 20%、在庫が売上の 5% で推移するとすれば、 式(3.2)の信用ポジションと在庫の合計は 1億円のとき 2,500万円、2億円のとき 5,000万円となる。 増加分 2,500万円が現金から出ていく。

利益 2,000万円では 500万円不足する。 損益は黒字、現金は不足という状態であり、式(4.3)が破れうる。

4.3 割引因子の異質性

命題 4.10 (決済スケジュールの組み替え利得). βC < β0(顧客が企業より将来を強く割り引く)であるとき、 履行 δ を変えずに π の時間配置のみを変更することで、 両者の主観的評価を同時に改善する組み替えが存在する。

証明. 現行契約の支払いを時点 0 における p とする。 これを時点 1 の p′ に繰り延べる変更を考える。 顧客の評価は − p から − βCp′ に変わるから、 βCp′ < p すなわち p′ < p∕βC であれば顧客は改善する。 企業の評価は p から β0p′ に変わるから、 β0p′ > p すなわち p′ > p∕β0 であれば企業も改善する。 βC < β0 より p∕β0 < p∕βC であり、 この区間は空でない。任意の p′ をこの区間に取れば両者が改善する。 □

例 4.11 (割賦の利得). 年利換算で顧客の割引率が 20%(βC = 0.833)、 企業の資金コストが 5%(β0 = 0.952)であるとする。 現金価格 100,000円の商品について、 1年後払いの価格 p′ は 105,000 < p′ < 120,000 の範囲で 双方が改善する。p′ = 112,000 とすれば、 企業は割引現在価値で 112,000 × 0.952 = 106,624 円を得て 6,624円の増益、 顧客は主観的に 112,000 × 0.833 = 93,296 円と評価し 6,704円の得となる。

注 4.12 (解釈の分岐). βC < β0 には二つの異なる原因がありうる。 流動性制約に直面している顧客にとって、現在の資金は客観的に価値が高い。 一方、双曲割引([21])などの認知的性質による場合もある。 前者に応えることと後者を利用することは、外形上ほぼ区別できないが、 耐久性(第6章)は正反対である。この区別は本枠組みの内部では決着しない。